2010年08月27日
2010年08月14日
美味しい塗香
作法上、塗香をちょいと口に含むのですが、美味しい塗香と、不味い塗香があります。
美味しいのはやっぱり松栄堂の特撰塗香かなあ。
味、香り共に、ワタシにとっては今の処ベスト。
いや、食べ物じゃないですけどね(笑)
何とアマゾンでも売ってます。
うーむ。アマゾンに無いもの無いなあ。
『神道のこころ』 葉室 頼昭
何といいますか、ワタシにでも解る程度の誤謬や牽強付会を含んでいるのですが、まあ軽く読めます。
一言で要約しますと「感謝して生きなさい」という事になりまして、「言われなくても解っとるわい」と言い返したくなります。
ですが、それについては全く反論の余地無く、そうしたいと切に願うものであり、かつまた最近それを忘れがちだった自分を反省させるに充分でありました。
体調が悪かった(酷い腰痛)ことも手伝ってか、落涙しかけたことを告白します。
何処を読んでだかはナイショ。
2010年08月05日
「ピアノの夏」と書き始めたがヒガミの話になった
今年も子供達が揃ってピアノコンクールに挑戦している。
今日、坊主の方が一足先に全国大会への出場を決めたらしい。
娘は昨年涙を飲んだので、今年は並々ならぬ意欲をもってチャレンジしているようだが、二回出場出来る予選の一つを落とし、数日後に控えた残り一回の予選にかけている様だ。
ガサツな親からよくぞこんな繊細なものを操る子供が生まれてくれたと嬉しく思うが、実はワタシは余り感情移入出来ない処がある。
例えば、スポーツだったりすると、その結果について解りやすいので、「良かった」とか「駄目だ」とか評価出来る。
これがピアノだと、どう良いやら悪いやら、ワタシにはもうさっぱり解らないのである。
予選を通った子と落ちた子の違いなんざ全く解らない。
更には練習中に、鬼軍曹の嫁が、ああしろこうしろと言っていることの意味が不明。
「もっと歌って」
「そこ匂いを嗅ぐように」
とか、およそピアノの弾き方についての表現とは思えないが、子供達は言われると何らかやり方を変えるようだ。
でもワタシには何が変わったやら皆目見当が付かない。
イチ、ニイ、サンと、メトロノームを使いながら「イチのチに合わせて」とか言われて、子供達はどうもテンポを変えているらしいのだが、そんな微細な感覚がワタシに解る筈もなく。
家の中でワタシだけが理解出来ないことが行われていて、一寸した疎外感を禁じ得ない。
親孝行のためには、もう少しお父さんの理解出来ることをやって欲しい様な気もしている。
更には、坊主との会話で更に寂しくなる話が発覚。
「ピアノ楽しいか?」
「別に」
「じゃあ何でピアノ練習してるんだ?」
「だって、お母さんを全国大会に連れて行かないと」
うーむ。お父さんも入れてくれないかなあ。
2010年07月18日
半僧半俗
「お父さんはお坊さんなの?」と子供が訊く。
そうだと言っても良いが、どうも言葉の表している雰囲気が異なる。
それは、一つには自分が修験行者だという点であり、祝詞も上げるし、経、真言も唱えるこのスタイルを、お坊さんかと問われると、そうともそうでないとも言える。
もう一つは、これが何よりも違和感があるのだが、半僧半俗であることによるかなあ。
辞書をとると、坊主=僧侶=出家して仏門に入った人 というのが一般の解釈らしい。
しかしワタシは半僧半俗、在家である。
仕事が嫌いなことにかけては、東アジアで3本の指に入ると自負するワタシは、定期的に仕事を全部ぶち捨てて何処かに行ってしまいたくなるのだが、その発作の最中のある日、某S学会員の友人と仏道について話していて、非常にシビレる事を言われた。
ワタシ「もう仕事とか全部やめちゃってね、出家して仏門に入っちゃいたいとか思うのよ」
友人「オマエはバカか?出家などという楽な生き方を求めるとは腐っている。信仰は娑婆にあってこそのもので、仏道は在家で志してこそだろうが」
流石は異端の学会員(笑)
布施も持戒も忍辱も精進も、そりゃ娑婆にいた方がきつかろう。
衆生のためを想えば、衆生の中に居なくては。
なるほどこの一点についてだけは、学会員に初めて折伏された(笑)
そんな訳でワタシは優婆塞でいる。
グラッチェ。
2010年07月11日
安楽椅子人生
脳の機能は「出力量」によって向上するらしい。
http://blog.tatsuru.com/2010/07/11_1220.php
書斎にこもって万巻の書を読んでいるが一言も発しない人と、ろくに本を読まないけれど、なけなしの知識を使い回してうるさくしゃべり回っている人では、後者の方が脳のパフォーマンスは高いということである
なるほどねえ。心当たりありますよ。
ワタシの迷子ちゃんの理由はこの辺りにあるかもしれない。
アウトプットよりもインプット、実践よりも論理を偏重してきたと思う。
安楽椅子ビジネスマンで、安楽椅子行者で、安楽椅子スピリチュアリストだと思う。
ああ、一寸嫌になっちゃった。
余談だが、人間椅子ビジネスマンで、人間椅子行者で、人間椅子スピリチュアリストというのを思いついたが、全く意味が解らない。
ケヴィンさんのわらしべ長者
キング・オブ・毒にも薬にもならない男、ケヴィン・コスナーさんですが、こっそりとこんな事してたそうです。
ケヴィン・コスナーがウォーターワールドを救う?
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20100618
すべった『ウォーター・ワールド』の上がりを研究につぎ込んで、水と油を分離させるマッスィーンを完成させ、それが今般のメキシコ湾の問題で大活躍しそうだとか。
非常に美談でありますが、役者的には相変わらず魅力を感じませんなあ。
エントリー的には余談でありますが、デニス・ホッパー大先生のご冥福をお祈り申し上げます。
2010年07月10日
『村西とおるの閻魔帳』 村西とおる
田舎者で、身の周りには荒れたヒトタチが多く、ジェントルな振る舞いのモデルが居なかったため、他人に対して随分と荒れた対し方をしていて、そのことに「おや?自分の振る舞いは問題があるのではないか?」と考え始めたのだ。
身の周りに良き手本が見つからず、弱っていた時に、ワタシがモデルにさせて頂いたのが、村西とおる大先生である。
「第三者に対して最低限必要な言葉と態度の修飾」
村西監督の仰るこの意味を、監督の振る舞いを模倣することで、何とか身につけた。
思考や行動に個性はあれど、それを世間に対して開陳する際には、最低限必要な装飾をもって表現しなければならないということを学ばせて頂いた。
依頼、感謝すると共に、今も私淑させて頂いている。
その監督が、ブログで書かれたものを一冊の本として上梓された。
これは読まずに置かれない。
内容は、社会、政治、時事、芸能と、極めて多岐に亘るのだが、凄いのはどんな事象に対しても、語るべき自らの体験をお持ちだと言うこと。
ワタシの様な者は、自分の浅薄さに恥じ入る次第である。
もう一つ、全編を通じて感じられるのは、常に憐憫の情をもって、衆生と対峙している点。
生き方の厚みが違うと感じ入る次第。
還暦を過ぎられて、カメラを担ぎ、パンツを脱ぎ続けるのは、ハードな仕事かと思いますが、お体ご自愛頂きつつ、生涯現役でご活躍頂きたいと思います。
懺悔文(さんげもん)
色々なことをしてきたので、その分失敗も色々あって、ネースーにズーキーだったりする。
一頃はかなり露悪的に生きたこともあるが、こうして神仏のお側で生きることに辿り着いたことを思うと、煩悩即菩提というのはこういうことかと思ったりする。
これをして本人は、ある種更正の道を歩んでいると思って満足している。
ネースーにズーキーなヒトタチと会うと、ある種の嫌悪感を感ずる。
この事に気が付いた時には少々狼狽えた。
自らの更正は認め、他人の更正は認めないという、正に慢の煩悩。
悔悟と更正の可能性は、万人に認めてこそ、自らの許にも訪れるのだと思う。
しかしながら、春秋に曰く「君子危うきに近寄らず」ともある。
うーむ。
前者の考えを支持するなあ。
我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋癡
従身語意之所生
一切我今皆懺悔
2010年07月09日
浦沢直樹は訴訟すべきだと思う
「柔ちゃん」○「金メダリスト」×=ニックネームで投票すると…−総務省・参院選
http://www.jiji.com/jc/zc?key=%c3%ab%ce%bc%bb%d2&k=201007/2010070900050
あんまり興味もないが、浦沢直樹は、自らのコンテンツ価値が毀損されていることについて、訴訟すべきだと思うがなあ。
ちなみに「ヤワラちゃん」の商標はフジテレビによって取得されている。
浦沢だだ漏れ。


